NPO法人ふれあいまちむらおこし塾
 勉強会
 稲作と日本社会
          コメンテーター:浅井 信さん

 

 米は日本人の主食であり、古くから親しまれている。

 そんな米には大きく分けて2つの種類がある。

 1つはジャポニカ米で、世界の3割を占めている。

 もう一つはインディカ米である。前者は、日本でよく食べ
 られていており、後者は東南アジアなどで親しまれていて、
 細長い形である。日本では、米は古くから特別視されてき
 た。

  たとえば、日本書紀には、日本のことを瑞穂の国と称し
 ている事が書かれていたり、米が年貢や通貨として流通し
 ていたりした。


 ところで、稲作が日本に伝来したのは弥生時代であるが、
 3月31日の朝日新聞によると、その弥生時代の始まりは、
 従来の説より500年ほど早い紀元前10世紀にさかのぼ
 ることが分かった。

  これは、放射性炭素年代測定という方法で分かったも
 のである。


  この記事によると、紀元前10世紀に北部九州に上陸
 した水田稲作は、まず前800年頃四国の西部と南部に
 伝わった。

 ついで瀬戸内に広がり、前650年頃近畿圏に到達し、
 前500年頃名古屋で始まっていた。ところがこの先、
 東進の痕跡がなかなか現れない。関東で水田が確認され
 るのは前100年頃。その一方、日本海沿いに稲作は北
 上し、前400年頃には青森に到着。そこから太平洋側
 に南下していた。関東の稲作は、西からではなく、北か
 ら伝わった可能性が出てきた。


  これを示すかのように、千葉県では、食料が多かった
 のか貝塚が多数発見されていて、この地域での稲作は遅い。